自分を大切に(ウツの考え方からの脱出)TMさん)
うつ病からの改善、克服

201459

マクロビオティック基礎科前期修了レポート

2013102日〜2014319

 

 



<お教室に通うまで>

一人暮らしで学生生活を送っていた20歳の頃より、約10年間うつ状態が続いており、薬を服用していました。(睡眠導入剤1種類、抗精神病薬2種類、漢方1種類)

1年ほど全く病院にも行かず、薬も手放せ、自分では完治したと思っていた時に、自分の病状を人と話したことでひどく再発した経験があり、それ以来怖くて人に自分の病気のことを話すことができませんでした。その後も、何度か病院に行かなくても良い時期もあったのですが、その度に再発を繰り返しました。

うつの状態が最悪の時期(2006年)に就職し、それでも仕事はなんとか頑張っていたのですが、就職4年目(2009年)に仕事上の負荷がかかりうつ状態が悪化し、1ヶ月休職し復職しましたが、就職7年目(2012年)の4月に再度休職し、そのまま12月末に退職しました。(勤務年数69ヶ月。うち10ヶ月休職していました。)しばらくはそのままアパートで体を休めようと思っていたのですが、退職1ヶ月後に父が急に亡くなり、急遽実家に戻りました。

退職、父の件、実家への引っ越し、その後の父関連の膨大な手続き、と慌ただしく過ごす中で、大好きだったお酒が全く飲めないほど体調が悪くなっていました。(体調が悪くなるといつも全くお酒が飲めなくなり、お酒を体調のバロメーターにしていました)その時にふと以前友人が「マクロビオティックのお店で働いている」と言っていたのを思い出し、それを聞いて直感的にすごくいいなと思ったことも思い出しました。そしてすぐ図書館へ行き、久司道夫先生の本を借り、その日(2013527日)から玄米を食べ始めたのがマクロビオティックに興味を持ったはじまりです。(初めは炊飯器で炊いていました)

ヨーグルトダイエットやリンゴダイエットなど、これさえ食べれば健康になる、という情報は出ては消えていますが、何か一つだけ食べてさえいれば健康になれる、という考え方はどうにも違和感がありました。自分なりの捉え方ですが、マクロビオティックは、100人いれば100人それぞれの体質、性質は違うから、それぞれ一人ひとりに合った食べ方をトータルで考えましょう、というものだと感じ、これは私には効く!と直感で思いました。

また、根底には食べることを通じて世界平和を実現していく、という考え方があり、初めはマクロビオティックってそんなに深いものだったのか、と驚いてしまいましたが、学生時代に国際関係学を勉強していたこともあり、目の前にある食=命を考えながら選んでいくことで、世界と少しでも繋がっていけるのであればとても素敵だなと思いました。

それからインターネットで色々マクロビオティックについて調べていた中で、アマゾンの書評がとても良かった岡田恭子先生の本とHPに出会いました。HPの中で、「病気は「食べ物」と「考え方」でなる」と書かれていて、とても驚きました。私の病気も考え方でなったとようやく気がつけるようになっていたからです。幾つかカウンセリングを受ける中で、自分の思考のクセ(自分で自分を否定するクセ、自分で自分をいじめるクセ)に気づき、結局は自分で自分を大切にすること、自分と自分の人生を愛することができていなかった、だからこの病気にもなったのだ、というところまで考えられるようになり、少しずつ症状も落ち着いてきていました。ブログやとくにたんぽぽ便りを読み、恭子先生の「考え方」や「運命を健康にする」ということを学びたいと思い、お教室に通いたいと強く思うようになりました。

しかし、お教室に通うためにはいくつか問題がありました。

1.      お教室に通うためには朝5時に起きなくてはならない。

お教室まで片道約3時間かかる為、早起きをしなくてはなりませんが、その頃は体調不良と睡眠導入剤(飲まないと眠れない)とで、毎日昼ごろにならないと起きれませんでした。

2.      最寄りのJRの駅まで車で往復2時間かかり、また駅の駐車場が狭くて難しいこと。

車に乗り出したばかりで、1日に最大1時間運転する体力しかなく、また駐車が大の苦手でした。

横浜まで通うなんて無理だ、半年かけて体調を整え、次の4月から通おう、でもやっぱりすぐに習いたい・・・。もんもんと3日間考えました。

 それでもやはりこの10月の基礎科前期のコースを受けたい。HPを見ると北海道や九州から通っている人もいる。お教室が始まるまで1ヶ月半、間に合うかわからないけれど、間に合うところまで生活を立て直し、体力をつけていこうと思い、お教室へ申し込みました。そしてその日から睡眠導入剤を飲むのをやめ、早起きの練習をし、スーパーの駐車場などでなるべく難しい場所で駐車するなど心がけ、ヨガやエクササイズを始め、少しずつ体力をつけていきました。

 それと同時に、玄米は食べていても、この頃は白身魚などに手を出すようになっていたので、一度きちんとマクロビオティックをやってみようと思い、8中旬から3週間、『ハッピー』に載っている玄米ご飯、けんちん汁、三種の神器を食べる半断食を行いました。

 半断食を始めて25日位までかるい頭痛があり、始めて2日後からお腹側にあせものようなかゆみと赤みが出て1ヶ月程続き、その後背中側にかゆみが移り2週間ほどで治まりました。またやたら水っぽい鼻水がでました。(この鼻水はこれから半年以上続きました)おそらく陰性の好転反応だったと思います。また、日々の食事、大小の便り、運動の記録、起床就寝時刻、体重、体脂肪率を毎日記録するようになりました。

 半断食を行って10日程たったある日、指先や足の先からふつふつと力が湧き上がり、それが背中に集まってぽかぽかと熱を発しているような感覚がありました。ふつふつと力が湧き上がってくる感覚が、私には「それでも生きたいと願う自分の本当の声」の様に感じられました。そして背中を風呂あがりに見てみると、就職と同時にでき、皮膚科でレーザーや塗り薬、飲み薬や漢方などを試しても7年半全く治らなかった湿疹跡が急速な勢いで治り始めていました。この経験を通して、食べ物の持つ力を信じよう、自分が元々持っている自然に良くなっていこうとする力を信じよう、と思えるようになりました。

 私が頭で何を考え、心で何を思おうとも、私が食べてきた食=命によって私の命は生かされてきた、という事実。そのことにマクロビオティックを始め、食というものを意識するようになり初めて気が付きました。そして私の体は生きようとしていた。うつは私の体が私の命を守ろうとしたはたらきだった。私はうつに守られていた。そのことに気づき、10年かかってようやく、自分の体、うつという病気、早く手放したくて目の敵にしていたけれどずっと自分を支えていてくれた薬、に感謝ができるようになりました。

 その後半断食が終わり9月に入り、主治医の先生から「元気そうだから薬を1種類減らしましょう」と言われ、抗精神病薬を1種類減らすことが出来ました。

 

<お教室で学んだこと>(沢山たくさんあるうちの5つ)

 

1.自己否定する必要はないと気付かせてくれた2つの言葉

 2回目のお教室で、「注意することは責めているわけではない、人格を否定しているわけではないのよ」と私の目を見てまっすぐに先生に言われました。鎧を着た自分の、鎧の中の柔らかい所がぐらぐらと揺さぶられた気がしました。

 仕事を辞めるほどうつを悪化させたきっかけは、他部署の怠慢から仕事量が増え、かつ決算資料の作成まで全く手が回らず、仕事が終わらないことを上司に伝えた所、「言うのが遅い」と強い口調で言われ、私は自分が否定されたと思い、誰にも頼ってはいけない、一人でやらなくてはいけないのだと思い、病み込んで行きました。もしかしたら、半分は叱責があったかもしれないけれど、のこりの半分は上司はただ単に私の申し出が遅いという事を言っていただけかもしれない。私は感情的なネガティブな面しか見ておらず、事実を見ていなかった。それに対して冷静に、相手に伝わる的確な言葉で自分の状況を説明し、他の人へ仕事をお願いしたいことを正確に伝えられていれば、あんな風に病み込むこともなかったのかもしれない。

 そんなことを帰りの電車の中で考えながら、次の日またたんぽぽ便りを読み直していた所、あるレポートに先生の言葉として「重荷を背負うな、責任を果たせよ」という言葉が書かれていました。私は今までずっと重荷ばかり好き好んで、時には他人の分まで背負おうとしていた。そのくせ、自分の果たすべき責任からは逃れようとしていた。だからうつにもなったのかもしれないと思いました。重荷は一人で仕事を抱え込んで病み込むこと。責任は事実を見極め、冷静・的確・正確に上司に援助を求めることだった。そして責任を果たすからこそ、人生は自由なのだと気付いた時、生きていくことがほんの少し怖くなくなった気がしました。なぜ今まで人生がこんなにも不自由だったのか、その理由がわかった気がしました。そしてその翌日病院へ行くと、主治医の先生から「もう一つの薬も減らしましょう」と言われ、抗精神病薬を手放すことが出来ました

 自分で自分を傷つけ、その痛みを感じることで自分の存在を確認する、という感覚・クセが普段忘れているほど当たり前のものとして自分の中にあり、ずっと自己否定をしてきたけれど、自分を自分で受け止めることで自分の存在を実感していいのだと初めて思えました。常に何かを自分の中で勝手に自己否定に持って行ってしまっていて、それでいつも心が折れていたのだと気付きました。自分を否定する必要はない。そのことに気付いたら、自分で自分を落ち着いて受け止めることが出来るようになり、そのことで自分の存在を実感できるようになったら、自分自身の存在に対する静かな信頼感と安心感が湧いてきました。自分の外側の世界に落ち着いて向き合い、他人の言動もおだやかに受け止められるようになり、今自分はきちんと努力をしている、努力しようと思えている、だから自分を信じて自分を待ってあげようと思えるようになってきました。

 「注意することは責めているわけではない、人格を否定しているわけではない」「重荷を背負うな、責任を果たせよ」の言葉と出会えたことは、自分の一生の財産になりました。

 

2.先生の厳しさこそが私の運命を健康に導いてくれたこと

 10月頃おばから誘われ、お正月にクラシックのニューイヤーコンサートに行ったのですが、その時のチラシで、ある歌手の方がとなり町でコンサートを開くことを知り、2年ほど前から「この人の歌を生で聞いてみたいな」と思っていたので、3月のコンサートに行ってみました。コンサートは終わってから何日も胸の中に余韻が残るような内容のものでした。私の好きな片付けの本にこの歌手の方の著書が紹介されており、コンサート会場で同じ本が売っていたので、買って読んでみたところ、今の自分に必要な言葉がしみ入るように書かれていました。年末くらいから、直感で本を選び、読み終わった瞬間に、「もう一度頭から読みなおそう!」と思えるほど、今の自分に必要な本との出会い運が格段に良くなっていると感じていました。コンサートでもらったチラシに、今度は7年ほどずっと見てみたいと思っていた海外のバレエ団の公演が家の近くで予定されていることを知り、その日のうちにチケットを申し込みました。自分から何か一生懸命動いているわけでもないのに、自分にとって必要な物が、自分にとってベストのタイミングでふわりと自分の手許に舞い降りてくる感覚でした。

 その時、先生から「この教室に来ると、もっと運が良くなるから楽しみにしていなさい」と言われたことを思い出しました。「運が良くなる」ということは、このお教室で学びたいと思っていた、「運命を健康にする」ということにつながってくるのではないか。そして、心の中で唱えるたびに、二の腕がゾクッとする、水野南北が悟った言葉、「食は神なり命なり、運命の基はここにある」ということにたどりつくのではないか。

 言葉で上手く表現できず、もしかしたら言葉で表現しようとする程陳腐になってしまうのかもしれませんが、それらがいくつか曲がり角を経ながらも、一本の線につながってくるような気がしました。そしてその線の延長上に恭子先生がいるのがわかりました。私はずっとこの人に自分の運命を健康にしてきてもらっていたのだと、やっと理解しました。

 振り返ってみると、年末くらいから、自分の運が良くなっていっているのを感じていました。年末あたりに何かあったかなと、自分が付けていたお教室日記を読み返すと、6回目の12月最後の授業で、先生から私の引き継ぎが悪いことを指摘され、「あなたは、注意することは責めているわけではない、人格を否定しているわけではないと、何度も自分に言い聞かせなさい!」と目を見て本気で言われ、自己否定をする必要はないとわかっているはずでも、体調の悪さもあり受け止めきれず、3週間程落ち込んでいじけていました。しかし、年が明け、その次にお教室に行った帰りに、「すごく変わりましたよね」と他の受講生の方に言っていただきました。

 受講生である私の幸せを本当に願って下さるが故の、本当の厳しさ。自分が本気で落ち込む程の、先生の本気の厳しさこそが、私の運命を健康にしていってくれたのだと、そのことに気が付き、その本物の厳しさに心から感謝しました。先生も同じ道を歩いてこられたからこそ、確信を持って強く私に伝えて下さっていたことにも気付きました。そして人の厳しさに感謝できている自分は、本当に成長したなと思えました。

 次の日、朝起きて鏡を見てみると、憑き物が落ちたように肌が白くなり、目が落ち着き、顔が整っているのがわかりました。この日が運転免許証の更新日だったのですが、新しい免許証と5年前の免許証の写真を比べると、明らかに今回の写真の方が肌が白くきれいなことがわかりました。

 

3.今まで思いもしなかった物・事・人に感謝ができるようになったこと

 うつという病気、自分の体、薬。悩んだり苦しんだり、人を傷つけてしまったり、そのことに気付いて自分が傷ついたりしながら、それでも今日まで生きることを選択し続けてくれていた自分の命。どれほど自分で自分のことを否定しようとも、私の人生には私のことを肯定し支えてくれる人たちが常にそばにいてくれた事。キツかったけれど、様々なことを学ばせてくれた自分の人生。自分の欠点。自分の家族。今ここに自分が生きて存在していること。人の本当の本気の本物の厳しさ。日々のご飯のおいしさや日々のささやかな生活。まだまだ感謝の対象に気付いていないことも沢山ありますが、こういったことに感謝ができる自分がいるなんて、お教室に来る前の自分には想像もできませんでした

 

4.体調が良くなり、薬が減薬できたこと

お教室の日は朝5時に起きて横浜まで3時間かけて通うことができている

2度目に休職していた頃は、睡眠導入剤を飲んでも朝3時まで寝付けず、起きれば午後3時で、それだけのことで絶望にも近いくらいの自己否定から1日が始まってすぐ終わっていました。その時期から比べたらまるで奇跡のようです。正直、お教室に申し込みはしたものの、体調が悪くて通うことができないかもしれないと、ほんの7ヶ月前までは思っていました。無理を押してでも次の4月まで待たずに、この秋のコースに通って本当に良かったと思っています。ふとした瞬間に、「元気になったな〜」「健康になってきたな〜」としみじみと実感することが増えました。また、薬を4種類から1種類にまで減薬することができました。これまでの経験で、何かに気付き自分の考え方が変わった瞬間に薬が手放せるようになることには気が付いていましたが、これだけ早いペースで減薬ができたのは初めてです。まだ漢方1種類を飲んでおり、通院も続けていますが、あせらず、自分に必要な時間をきちんとかけて、自分自身と向き合いながら、自分の根っこから健康になっていきたいと思います。

 

5.恭子式マクロで「二年目」から(→その時その時の自分の体に合わせて)食べ方を変えること

 お教室の存在を知る以前に、インターネットでマクロビオティックについて検索していたところ、「長年母がマクロビオティックを実践していて、自分も無理やりやらされていた。母は健康被害が出ていたにもかかわらず、マクロビオティックにとらわれすぎていて、マクロビオティックを辞めることが23年の間出来なかった」というブログがありました。その時は、「健康になるはずのマクロビオティックを続けて、逆に健康に害が出るってどういうこと?第一、体に合わないのであれば、やめれば済むはずなのに、マクロビオティックにとらわれすぎていてやめられないというのは一体どうして?」と思い、ブログに書かれていることの意味が全くわかりませんでした。

 しかし、2月の9回目の授業を受ける頃になって、ブログに書かれていたことの意味がおぼろげながら見えてきた気がしました。

先生のおっしゃる「恭子式マクロ」で2年目から(つまり、自分の体に合わせて)食べ方を変える、ということ。「風邪をひいている時には風邪薬を飲むように、病気の時はまず玄米で排毒をし、次に風邪が治ったら風邪薬をやめるように、2年目からの食べ方に変えてください。」(『ハッピー』p109。)このことをマクロビオティックをスタートする段階から伝えていただいている、ということは、直感で、もしかしたらものすごく大事なことを、安全で安心できる形で伝えていただいているのではないかと思いました。

 お教室で基本的な陰陽は教えていただいていますが、みっちり細かな陰陽にどっぷりつかる、ということはなく、むしろ先生が繰り返し強調されているのは「ご飯食べ」「100回噛むこと」「良い物を少量」ということ。先生の中にはマクロビオティックの盤石な知識と理論があり、それをご自身の経験を通して知恵となったものを、そのエッセンスをお教室で伝えて下さっているのだと思いました。

 

<今後の課題>

1.ご飯食べ・100回噛むこと・良いものを少量

前期の途中で、治まっていた不安感や焦燥感といったうつの症状が再度出てきた週があり、なんだろうと思っていたのですが、振り返ってみると、その週はお弁当箱にいれてご飯:おかず=53で食べることをさぼっていた週だと気づきました。ご飯とおかずの食べ方が自分のうつの症状に直結していることを体で感じました。100回噛むことも、気持ちが緩むと全く噛む回数を数えていないことがあり、また食べ過ぎることもまだまだあります。

今まで、治ったと思った時は、「これで前と同じ生活が出来る」と、治った途端に病気になる前と全く同じ生活を送り、いつもぶり返していました。その生活を送っていたからこそ病気になったのだから、治った後は生活そのものも変えていかなくてはぶり返す、という当たり前のことに今まで気付いていませんでした。変えなくても良い所はそのままで、改めるべきところは素直に改め、今この体調を自分の血と肉の中にしっかりと落としこんで安定させていきたいと思います。「糸の切れた凧」にならないように、自分で自分の手綱をきちんと引いていくこと。調子に乗って、暴走しないこと。

『ハッピー』に書かれたヒポクラテスの言葉、「病気をする前と、した後で、食事が変わらなければ、本当に病気が治ったとはいえない」(p1345。)とはこういうことなのだなと思いました。体調がぶれてきたときは、この基本の3つに立ち戻りたいと思います。

 

2.うつをぶり返すことなく、自己否定もすることなく、自分自身と向き合っていくこと

 自分と向き合うスタートラインにようやく立てたところなので、自分自身や己の過去と向き合い、整理し、深めていく作業はこれからだと思っています。「自分の器」と「天与の分限」を見極めながら、世界に一つだけの自分という花をていねいに咲かせていきたいと思っています。また、これから自分がどんなふうに生きていきたいのか、本当は何が好きで何が嫌いなのか、一人の女性としてどうありたいのか。今まで自分を否定することに使っていたエネルギーを、ようやくこういったことを考えることに使えるようになってきました。自分自身と向き合いながらも、決してうつをぶり返さない、その為に自己否定もしない、ということがこれからの大きなテーマだと思っています。

 

<おわりに>

 10代の頃は自分で自分が嫌いだと言うことでしか自分を支えるすべを知りませんでした。20代に入り、変わりたい、変わらなければ、やっぱり自分で自分を好きになる努力をしたい、と思って頑張っていたのですが、何をどう変えていけばいいのか、具体的な努力の方法がわかりませんでした。お教室に通い、体と心が整っていく中で、今までわからないながらも努力してきた事が、点と点がつながるように、まっすぐに今のこの自分につながっていることに気付きました。

 有名な「人生に無駄なことは何一つない」というこの言葉はずっと間違っていると思っていました。この世界には理不尽なことも不条理なことも、努力で解決できないことも沢山あるじゃないかと思っていました。でも、苦しみの中にあっても、そこから自分が必死の思いで学び得たこと、そのことに無駄なことなどない。その意味で、人生の学びにおいて無駄なことは何一つないのだと、ようやく理解しました。

 また、この自分の人生だからこそ、自分が得てきたものがあるのだと気が付けたら、もう自分の人生を他人の人生と取り替えたい、他人がうらやましい、とは思わなくなりました。


※恭子注:
バラの花には、タンポポの気持ちはわかりません。

でも、バラの花をうらやましいと思うことこともなく、バラの花を冷たいと否定することもなく、

たんぽぽはタンポポの花を咲かせることを努力すればいいのです。

 人はこんなにも変われるのだと思います。これだけの量のレポートが書けるくらい、自分が一生懸命お教室に通い、マクロビオティックを実践してきたということは、それはそのまま今まで自分がどれだけ苦しかったかという証明でもあります。常に意識して心を圧迫し続ける必要はないけれど、この自分の苦しみを心の片隅で忘れずに覚えていたいと思います。初心と感謝の心を忘れた瞬間に、この病気は再発するものだからです。そしてうつ状態だったこの10年間も、それを引き起こしたその前の20年間の生き方も、否定する必要はなく、もちろん何一つ楽しいことがなかったわけでもなく、ただそこから学んでこれからの人生の糧としていけば良いのだと、今の自分は気が付けています。

 お教室に通う前、たんぽぽ便りを全て読み、どうしてもこの先生に習いたい、どうしてもこのお教室に通いたいと強く思いました。お教室に通っている間も何度も読み返し

夜一人自分の部屋でパソコンの前で泣いていることもありました。私と同じように、うつや病気で苦しんでいる方、距離や体調のことでお教室に通うことを悩んでいる未来の受講生の方に、私のたんぽぽ便りが何か一つでもお役に立つことができれば、これ以上うれしいことはありません。

 そして最後に、恭子先生、お教室の他の受講生の皆様、本当に半年間ありがとうございました。先生と歴代の受講生の方々が代々作り上げてきてくださった、このお教室の持つパワーにも感謝しています。気持ちの整理がつかず、昔の友人に会うことがしんどくてできなかった時期に、先生や新しい方と知り合い、お教室や帰り道で他愛もない(でも実は深い)話をさせていただく時間はとても楽しく貴重な時間でした。一番料理経験の浅い、緊張しいのとんちんかんな私へのあたたかなフォローも、いつもありがとうございました。笑ってくださる方がいるだけで、いつも十分救われていました。それぞれの大変さを比べる必要はないと思っていますが、お仕事をされていたり、ご家族の方や小さなお子さんがいらっしゃったりする中で、「それでも学び続ける姿勢」に毎回とてもよい刺激を頂いていました。2週間に1度早起きをすることも自分の生活リズムを整えるのに調度よく、行き帰りの時間もお教室の振り返りや自分の人生について考えるとても良い時間でした。

 この先の人生にも、山も谷も、晴れの日も雨の日も、まだまだ続いていくことと思います。でも、山や谷にはかつて本で読んだように、様々な名前(夢、希望、友情、愛、きびしさ・・・)のついた花が咲くこと、雨上がりの空にはお教室初日の帰り道のように虹がかかること、夜の闇が深ければ深いほど、人は遠くの小さな星を見つけることができ、自分で自分を諦めない限り明けない夜はないのだと、夜から朝に変わる瞬間の美しさがあることを、今の自分は知っています。

 全ての人間がそうであるように、私もまた人としての弱さを抱えながら生きてきました。弱さを抱えながら生きること、それは決しておろかなことではなく、とてもしんどいやり方ではありましたが、それでも自分自身を手放さずに、なお生きることを選択し続けていく、そのすでに強さとさえ呼べるものを今の自分は得てきたのだと思います。どうしようもなく抱えている己の弱さもおろかさも、優しく受け止め受け入れながら、そこから学び得たことを糧とし、時には泣いたり怒ったり、たまには相変らず落ち込んだり、疲れたら休んだりしながら、それでもまっすぐに自分自身の人生と向かい合って生きていきたい。食は神なり命なり、運命の基はここにある。

 前期の授業を通してやっとここまで思えるようになりました。本当にこの半年間、自分自身よくここまでたどりつき、よくがんばったと思っています。本当にありがとうございました。後期も最後まで一回一回集中して学びを深めていきたいと思います。後期の授業が終わった時に、このたんぽぽ便りを読み直して、その時の自分が何を思うのか、今からとても楽しみです。

 恭子先生、これからもどうぞご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。

 長文読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

<食事の変化>

 

・お教室に通う前の食事

朝(7時):トースト、ブルーベリージャム、目玉焼き、インスタント味噌汁

昼(12時):外で買った油っぽいお弁当→就職5年目ごろから体が受け付けなくなりお弁当を手作り。思えばこのころから、それまでは大丈夫だったコンタクトの充血がひどくなってきていた。

手作りお弁当の定番メニュー:白米おにぎり、玉子焼き、ウインナー、ミニトマト、きゅうり漬け、いちご、オレンジ(サラダと果物は体に良いと思っていて、冬でも毎日沢山食べていた)、ヨーグルト

夜(19時):白米ご飯、買ってきたお惣菜(高野豆腐、がんもどき、野菜の煮しめなど)、または煮魚、サラダ、キウイ、100円の茶碗蒸し、味噌汁

間食:チョコレート(仕事の合間に一口で食べられるのと、頭の回転がよくなると聞いて机の引き出しにいつも入れていたが、ニキビがひどかった)、出張みやげのお菓子、塩味のスナック菓子、コーヒー、紅茶(ミルク、砂糖入り)、緑茶

 

・お教室に通いだしてからの食事

朝(8時):梅生番茶(風邪気味の時は第一大根湯。私には良く効きました。)

昼(11時):玄米雑穀ごはん、ごま塩、ハッピーまたはらくらくのレシピ1品(前の晩の残り)、納豆、ゆでブロッコリー、味噌汁またはけんちん汁

夜(18時):玄米雑穀ごはん、ごま塩、ハッピーまたはらくらくのレシピ1品(小豆かぼちゃを良く作っていた)、もやしと油揚げ炒め、味噌汁またはけんちん汁

間食:砂糖不使用のせんべい、パッピーの雑穀パン(おいしすぎていつも食べ過ぎてしまうのが悩み)、お麩、干し芋、塩不使用のナッツ、油揚げ(トースターで焼いてお醤油をかける)、発芽玄米餅、天然酵母飲料、黒豆コーヒー(体がすぐに温まるのがわかる)、ルイボスティー、穀物コーヒー、薬草茶、三年番茶、梅生番茶(外出時は水筒に入れていつも持ち歩くようになりました)

 

 

 

 


 恭子から一言

 本当に、心のきれいな、外目もきれいな、お嬢さんでした。

自分のどこが嫌いなんでしょう、、、

と不思議に思うくらい、素敵に生きている方でした。

ウツになる方には、まじめで心きれいな方が多いです。

自分を許し自分のより良く生きようとしている魂を認めて、その魂に重なるように生きれば私達は仕合せになります。

魂と肉体の間に、こころがあります。

「心」− どこにあると思いますか。

心は 動きであって 形ではありません。

心は 魂と肉体の間にあって動いています。

魂を輝かせようとする心の動きは安定し、開運します。

肉体に重なる心の動きは、不安定です。悩み、苦しみを生じます。

心と体が連動しているゆえんです。

乗り越えるコツは、目の前にある必要なことを具体的に、誠実に誠実にコツコツとすること。

あとは、「感謝」です。

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2015.11.2恭子記:その後この方は、108番、114番の続きのレポートを書いてくれました。
そして、うつ病の薬を完全に止めることが出来ました。

うつ、ウツ、鬱病からの改善、克服